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三代目歌川広重

作品数1点(2017/9/19 現在)

三代目 歌川 広重 さんだいめ うたがわ ひろしげ

 

                D105各隊整列之図

 

天保13年〈1842年〉 - 明治27年〈1894年〉3月28日)

 

江戸時代から明治時代にかけての浮世絵師。

初代歌川広重の門人。姓後藤、名は寅吉または寅次郎。俗称安藤徳兵衛。一立斎と号す。父は深川で船大工をしていた。会席料理屋の百川(ももかわ)の養子に入る。初めは初代広重に入門し、重政と称して文久(1861年-1864年)頃から作画を始めたが、慶応3年(1867年)、初代広重の養女お辰に婿入りして、二代目歌川広重を自称した。しかし実際には三代目である。これは歌川国貞と同じように、意識的に二代目を抹殺するためであった。

広重の名前では初代、二代と同様に三代広重も「東海道五拾三次」を描いたことで世に知られているが、さすがに明治という時代を反映して、怒濤のごとく押し寄せる文明開化の産物、蒸気車、蒸気船、鉄道、洋風建築、洋服、散切り頭の民衆、人力車などを積極的に描いている。なかでも明治5年(1872年)に開通した新橋横浜間を結ぶ鉄道の登場は、当時鉄輪が蒸気で走行するといって話題騒然、物凄いカルチャーショックを起こした。開通の前から浮世絵師たちが想像を膨らませて描いた錦絵は、全国にニュースとなって流れた。三代目広重は、こういった文明開化の有様を毒々しい輸入アニリン紅を多用して描いたので、彼の開化絵は「赤絵」と呼ばれた。当時の落ち着きのない騒々しい世相を見事に映し取っていたといえよう。三代広重の開化絵は初代広重がもっていた叙情性とは縁がないが、からりとした明治前期の時代色を良く伝えている。

明治15年(1882年)に描かれた大判錦絵三枚続「東京名所之内 銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図」(マスプロ美術館所蔵)には、ハイカラな煉瓦造りの西洋館、明治7年(1874年)に設置されたガス灯、明治15年(1882年)に新橋日本橋間に開通した東京馬車鉄道、さらに並んで走る人力車の他、画面の右端には東洋日報、左端に朝野新聞社の社屋も描かれており、当時の状況を知ることが出来る代表作かつ傑作である。また前年の明治14年(1881年)作画の「東京名所上野公園 内国勧業第二博覧会美術館図」(東京国立博物館所蔵)では、政府主催により開催された内国博覧会会場(上野公園)内の煉瓦造りの美術館の前にある大きな噴水の周囲に珍しげに集まる人々を見事に捉えている。享年53。墓所は初代広重と同じ東岳寺。法名は功降院機外立斎居士。

 

作品

「横浜商館之図」 大錦3枚続 慶応3年

「東京名勝図会」 大錦揃物 明治元年

「東京名勝高縄鉄道之図」 大錦3枚続 明治4年

「横浜郵便局開業之図」 大錦3枚続 明治8年

「大日本物産図会」 横中判揃物 明治10年

「穴守神社・羽根田浦図」 絹本着色 双幅 東京国立博物館所蔵

 

 

三代目 歌川 広重  2012年6月4日 (月) 04:26 UTCの版 ウィキペディア日本語版

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/歌川広重_(3代目)

 

作品数1点(2017/9/19 現在)

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1

D105各隊整列之図

1877/11/00

西南戦争錦絵

国会図書館

林吉藏


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