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What's New!

2018年

9月

01日

エドワード・シルヴェスター・モース

 1877年、西南戦争の真っ最中に初来日した、エドワード・シルヴェスター・モースはその時の様子を印象的に書き残している。

 「 往来 を 通行 し て いる と、 戦争 画 で 色とりどり な 絵画 店 の 前 に、 人 が たかっ て いる のに 気がつく。 薩摩 の 反逆 が 画家 に 画題 を 与え て いる。 絵 は 赤 と 黒 とで 色 も 鮮 かに、 士官 は 最も 芝居 がかっ た 態度 を し て おり、「 血なまぐさい 戦争」 が、 我々 の 目 からは 怪奇 だ が、 事実 描写 さ れ て いる。 一枚 の 絵 は 空 にかかる 星( 遊星 火星) を 示し、 その 中心 に 西郷 将軍 が いる。 将軍 は 反徒 の 大将 で ある が、 日本人 は 皆 彼 を 敬愛 し て いる。 鹿児島 が 占領 さ れ た 後、 彼 並 に 他 の 士官 達 は ハラ キリ を し た。 昨今、 一方ならず 光り輝く 火星 の 中 に、 彼 が いる と 信じる 者 も 多い。」

 

日本 その 日 その 日   JAPAN DAY BY DAY 

エドワード・シルヴェスター・モース

石川 欣 一 訳 青空文庫 より

https://www.aozora.gr.jp/cards/001764/files/55990_60221.html

2018年

8月

10日

海の見える杜美術館にて展覧会

2018年

7月

31日

西郷星を取り上げた錦絵

 西南戦争錦絵美術館では以下の4点の作品が西郷星を取り上げている。御届け順にならべると、以下のようになるが、世相が乱れると天変が起きるという記事に始まり、人々がその星を信心するという西郷寄りのもの、また、科学的な解説を詳細に加えたもの、更に、時期が過ぎ、星の輝きも失せ戦乱も集結したあとの世相を語るなど、切り口が、いろいろなのが面白い。

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2018年

3月

07日

『PC002西郷隆盛愛妾別惜圖』を追加した。

『PC002西郷隆盛愛妾別惜圖』を追加した。海外在住の方からご連絡をいただき、ご好意に甘えての掲載となった。公共機関には所蔵されていない作品のようで、貴重な1作となる。詳細はこちらをご覧ください。

2017年

10月

25日

海の見える森美術館のブログ

インターネット上に西郷隆盛の肖像画

西南戦争錦絵「奇星之実説」

が公開されている。

 広島県の廿日市市にある、海の見える森美術館は西南戦争錦絵を、多数保有しているが、その中の1点を公開している。こちらからどうぞ。

この作品は、西南戦争錦絵美術館で公開している、静岡県立中央図書館蔵「S017奇星之實説」の異版である。

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2017年

9月

21日

現在171点を公開中!

 西南戦争錦絵美術館で公開している西南戦争錦絵の数を絵師別に整理して総数をカウントした。現在171作品を公開している。全てが所蔵館からの許可を得てデジタル画像を提供していただいたものである。この美術館の目的は作品に記載された情報を正確に採取することとそれを元に、西南戦争錦絵の全体像を明らかにすることで、基本的にはデータベース作成作業である。

 各絵師のプロフィールは基本的にウィキペディアからの参照であるが、そのあとに、このウェブサイトで収集した情報を盛り込んだ作品リストをつけている。発行日順にならべ、異版は重複してカウントしないことを基本としている。今後、東京都立図書館とスミソニアン博物館の収蔵品を整理していく予定。

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2017年

8月

28日

西郷隆盛の顔

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2017年

8月

28日

国会図書館関西分館

 国会図書館関西分館に出かけた。目的は館内限定公開作品のデータを採取する事。なかなか刺激的な場所で灌漑深かった。

 西南戦争錦絵の中で館内限定公開に指定されているのは、21作品あるが、これはいずれも、著作権の継承者が不明のためだと考えられる。よって、誰がその継承者なのかということは画像を見れば一目瞭然のはずだが、そこがなかなか分かりにくくなっている。絵師と記者が、また、プロデュース担当の版元が共同作業していたからだろう。

 さて、それはさておき、館内限定では有るが、インターネット端末を使用して個々の作品は見ることができるし、遠隔視聴を利用して、近くの公共図書館で視聴することもできる。

 以下、一覧表にリストアップするものが、今回拾い出したデータであるが、異版がインターネット公開されていたりする作品もあり、著作権継承を厳格に適用されたものでもないようである。ここは深くは追求しないほうがいいだろう。

 

 詳細は各作品ページに反映済みである。

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2017年

8月

01日

川路利良

川路利良 かわじとしよし

 

機会があって、川路利良の生誕地を訪問することができた。鹿児島市の北部皆与志町にある生誕地はかなりの山の中だ。バス路線が走っており、そのバス停の名は『大警視』と言うものであった。石碑に「大警視川路利良誕生之地 公爵 島津忠重書」とあった。また、説明看板には

「ポリスは人民の保母なり」ーフランスを理想として警察制度を創設ー

市民に対して厳格で、しかも親切な警察を創りたいー。1年間のヨーロッパ視察から帰った川路利良(かわじとしよし)は新しい警察制度を創るために動き始めました。「夫レ警察ハ国家平常ノ治癒ナリ」で始まる建議書を提出。東京警視庁の設置にあたっては初代長官として大警視に任命されたのです。

その川路が生まれたのは、1834年(天保5)のことです。16歳で藩に出仕した川路は、翼1850年(嘉永3)薬師町に転居するまで、この生家から片道12kmの道を通いました。その後戊辰戦争で桐野利秋とともに西郷隆盛に認められ、桐野は軍隊を、川路は警察をまかされました。ところが遣韓使節をめぐる政争により、川路は帰郷する西郷と訣別。西南戦争では官軍の別働第3旅団長(少将)として巡査隊(抜刀隊)をひきいて薩摩の軍隊に痛撃を加えました。

1879年(明治12)2度目の訪欧中に病が悪化して帰国、46歳で亡くなりました。墓は、東京の青山墓地にあり、警視庁警察学校には銅像が建てられています。」

と書かれている。

さらに、敷地内には東面「警察制度創設百年記念」北面「天保五年五月十一日大警視ここに誕生す」南面「川路利良初め正之進 号は龍泉 世々島津氏に仕える 嘉永三年十七歳の時城下鷹師馬場に移る 元治元年七月蛤御門の変に功を立つ 慶應三年御兵具一番小隊附 明治元年戊辰の駅では兵具隊長となり出陣 その功により 翌二年兵器奉行」西面「明治四年東京府大属を経て典事 同五年邏卒総長 ついで 警保助兼大警視 同年欧州視察 同七年一月警視庁初代大警視 西南の役では陸軍少将別働第三旅団司令長官として活躍 同十二年欧州視察 病の為帰朝 同年十月十三日沒 年四十六」と刻まれた、石柱もある。

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2016年

2月

01日

『FS003征討御會議之圖』を追加した。

 スミソニアン博物館蔵『FS003征討御會議之圖』英語タイトルは『FS003Meeting on Subjugation [of Rebels in Kyushu]』を追加した。名指ししない配慮で描かれた明治天皇の肖像を見ることのできる作品である。

 

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2015年

12月

25日

海の見える杜美術館「極彩色の歴史絵巻西南戦争錦絵展ラストサムライ西郷隆盛の聖戦」

 2年も前のことになるが、広島県廿日市市にある海の見える杜美術館で、極彩色の歴史絵巻西南戦争錦絵展ラストサムライ西郷隆盛の聖戦というタイトルの展覧会が行われた。2期に分けて120点以上の錦絵が展示された。5つのテーマに分けて展示してあり、なかなか工夫してあった。それぞれのテーマは、1戦況の報道、2戦場の女性たち、3戦場の宴、4盛りあがる西郷人気、5カブキの中の西郷隆盛という構成で、保存状態が良いので鮮やかな色彩が素晴らしかった。残念ながら作品リストは配布されなかったが、メモから展示リストを作成したので公開する。美術館では240点以上の西南戦争錦絵の所蔵があるとのことなのでさらなる公開も期待したい。

前期2013年10月26日から11月24日、後期2013年11月30日から12月24日の期間で公開された。

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2015年

5月

06日

スミソニアン博物館蔵「FS002鹿児嶋暴徒追討記」を追加した。

4種類目の異版となる。

098鹿児嶋暴徒追討記 〔田原坂の戦〕」国立国会図書館蔵

B006鹿児嶋暴徒追討記」大英博物館蔵

S057鹿児嶋暴徒追討記」静岡県立中央図書館蔵

に続く「FS002鹿児嶋暴徒追討記」スミソニアン博物館蔵である。

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2015年

4月

04日

「宮城集治監物語」様から画像を提供していただいた。

上記「 PC001賊魁ノ首級實検之圖」の画像は

 

ブログ「宮城集治監物語

http://blogs.yahoo.co.jp/siba772000jp/509523.html

 

様から画像を提供していただいた。

「宮城集治監物語」はこの絵に登場する中尉安村治孝についてのブログである。安村治孝は「S039鹿児嶋電報雙雄血戰之圖」にも描かれているが、西郷隆盛の首を打ちとった英雄である。

 左図に描かれる、少佐立見某君は立見尚文のことで桑名藩出身の立見は戊辰戦争では幕府軍に属していたが、西南戦争で官軍に採用され活躍する。後に日清戦争でも重要な地位を占め、陸軍大将にまで上り詰める。用兵の天才として知られる立見だが、その名は西南戦争錦絵で確固たるものになったという。

 

記事の詳細等はこちらからどうぞ。


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