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070西海暴動電信紀聞 〔神風連の輩種田政明少将の私邸を襲う〕
さいかいばうどうでんしんきぶん
                                                                               
 楊洲斎周延                国立国会図書館 蔵

明治十年七月廿六日御届
出版人 大倉孫兵衛  日本橋通一丁目十九番地
画工  橋本直義   上野北大門十一番地

右図:児玉森・中根景澄

中図:高津運記・赤嶺一雄・立島駿太

左図:正五位陸軍少将種田政明

 

熊本縣下の士族神風連と称する輩俄に(にわかに)暴發なしつつも鎮臺并に縣廳を襲ひ猶官員の邸へ討入る其中にも種田氏の邸宅へハ高津児玉を始めとして無二無三に切廻る事不意に出たれバ家内の狼狽大かたならず種田氏ハ少しも動ぜず多勢を相手に戦ふたり干時明治九年十月廿五日の夜なり

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メモ

襲撃は24日深夜の事であるので「廿五日の夜」は正確であろう。
                            
児玉森(不明)
中根景澄(与倉中佐襲撃隊の中垣景澄の事か?)
高津運記(種田少将襲撃隊)
赤嶺一雄(歩兵隊第十三部隊を襲撃した隊士)
立島駿太(種田少将襲撃隊)
正五位陸軍少将種田政明(熊本鎮台司令・自宅にて殺害される)
女性は小勝(種田少将の愛妾)

( )内の注釈は以下のサイトを参考に作成した。
www.神風連.com     http://www.shinpuren.com/
 神風連志士名簿  http://www.shinpuren.com/taisimeibo.htm

エピソード

1、種田が殺害された際、その場にいた種田の愛妾小勝は負傷しながらも、熊本電信局へ走り、「ダンナハイケナイ ワタシハテキズ」(旦那はいけない、私は手傷)と打った電報を、東京の親元に送信した。このエピソードは、短く簡潔かつ的確にまとめることが重要な電報文体の好例として「朝野新聞」紙上に紹介された。その後、仮名垣魯文が脚色したものが一般に広まり、電報の利用方法や有用性が広まるきっかけの一つになった。

ウィキペディア日本語版 2011年10月28日 (金) 17:27UTCの版より引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/神風連の乱

2、近くに住んでいた徳富蘆花(ろか)は間近で起こった神風連の乱を題材に、『国民の友』で「恐しき一夜」という小説を発表している。

熊本県のホームページよりhttp://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/tanedams.html

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