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歌川国松

作品数 1点(2017年08月12日現在)

歌川 国松 うたがわ くにまつ

                036鹿児島征討記

                S053鹿児島征討記


安政2年(1855年) - 昭和19年(1944年)3月19日)

 

 江戸時代後期の浮世絵師。歌川国鶴の門人。歌川国鶴の3男で、2代歌川国鶴の弟。姓は和田、名は国次郎。一龍斎、一応斎、福堂と号す。晩年には玩舟と号した。一時期は2代歌川豊重あるいは一龍斎豊重と名乗ったが、まもなく福堂国松と改めた。12歳の時、江戸田所町の古着商、大黒屋へ奉公に出ている。明治初年に横浜吉田町の実家に戻り、父・国鶴の下、画技を修めた。父・国鶴の死後、明治12年(1879年)、25歳の時、小林永濯に入門、その頃、荒磯新聞に挿絵を描いている。続いて豊原国周の門にも入り、『有喜世新聞』に入社した。また、明治17年(1884年)に大坂『此花新聞』に招聘され、2年間在阪し、朝鮮事変関係の錦絵などに筆を振るった。後に帰京して、雑誌や『東京絵入新聞』、『絵入朝野新聞』、『毎日新聞』、『あけぼの新聞』などに挿絵を描いた。明治22年(1889年)には京都の『日出新聞』に招かれ、明治36年(1903年)まで京で作画をした。一時帰京の後、再び大坂へ赴き、『浪花新聞』などの新聞に挿絵を描いた。また、本屋、絵葉書屋を営んだ。大正10年(1921年)頃、帰京した。さらにスモリックに石版画も学んだようであった。豊重の落款では「横浜ステーション之図」や「横浜新海地高島町鉄道之真図」、国松として「横浜名勝競」のシリーズなどの横浜絵が知られている。明治期には合巻『恋娘昔八丈』1冊(柳水亭種清作)の挿絵を描いている。明治10年代に手がけた雑誌の例として、『花岡奇縁譚 東京に開き横浜に薫る』や『思案橋暁天奇聞』が挙げられる。何れも明治15年(1882年)のものである。享年90。墓所は港区芝の増上寺内常行院。なお、没後、6代目歌川豊国らによって、5代目歌川豊国の称号が与えられた。
作品「横浜高嶋町神風楼之図」大判 明治8年(1875年)「鹿児島征討記」大判 明治15年(1882年)「朝鮮事件」大判3枚続 東京経済大学図書館所蔵 明治15年(1882年)「朝鮮暴徒防禦図」大判3枚続 東京経済大学図書館所蔵 明治15年(1882年)「朝鮮変報」大判3枚続 東京経済大学図書館所蔵 明治15年(1882年)「朝鮮変報 激徒暴戦之図」大判3枚続 東京経済大学図書館所蔵 明治15年(1882年)「横浜名勝競 本町通郵便局」大判
歌川国松 2011年3月27日 (日) 01:08 (UTCの版)ウィキペディア日本語版http://ja.wikipedia.org/wiki/歌川国松

作品数 1点(2017年08月12日現在)

No.

タイトル

出版日時

カテゴリー

所蔵

版元

版型

1-1

036鹿児島征討記

S053鹿児島征討記』の異版

0000/03/17

西南戦争錦絵

国会

図書館

綱島亀吉

3枚続

1-2

S053鹿児島征討記

036鹿児島征討記』の異版

1877/03/17

西南戦争錦絵

国会

図書館

綱島亀吉

3枚続

✴︎異版は作品数にはカウントしない。


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