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河鍋暁斎

作品数 1点(2017年8月11日現在)

河鍋 暁斎 かわなべ きょうさい

 

                  B002暴徒川尻本陣図

                  S046暴徒川尻本陣図

 

1831年5月18日(天保2年4月7日) - 1889年(明治22年)4月26日)

 

 幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師である。最初の妻の父は鈴木其一、三番目の妻から生まれた長女暁翠、次男暁雲も日本画家。明治初期に投獄されたこともあるほどの反骨精神の持ち主で、多くの戯画や風刺画を残している。

 狩野派の流れを受けているが、他の流派・画法も貪欲に取り入れ自らを「画鬼」とも号している。その筆力・写生力は群を抜いており、海外でも高く評価されている。

 

 1831年(天保2年)、下総国古河(茨城県古河市)に生まれる。父は古河藩士(養子)の河鍋記右衛門であったが、1832年(天保3年)に江戸へ出て幕臣の定火消同心の株を買って本郷お茶の水の火消し屋敷に住み、甲斐姓を名乗る。同時に一家は揃って江戸に出ている。幼名は周三郎といい、河鍋氏を継いだ。兄に直次郎がいた。1833年(天保4年)、周三郎は母につれられ館林の親類、田口家へ赴いた。この時、初めて周三郎は蛙の写生をした。

 1837年(天保8年)、浮世絵師歌川国芳に入門。1839年(天保10年)5月梅雨による出水時に神田川で拾った生首を写生し、周囲を吃驚させたという「生首の写生」の伝説を残す。1840年(天保11年)、国芳の素行を心配した父により狩野派の絵師前村洞和に再入門。翌年洞和が病に倒れたため、彼の師家にあたる狩野洞白に預けられた。1846年(弘化3年)には小石川片町からの出火で火消し屋敷も消失してしまうが、このとき火事の写生をしている。1848年(嘉永元年)に、現存する暁斎最初期の肉筆作品『毘沙門天之図』を制作している。翌1849年(嘉永2年)、洞白より洞郁陳之(とういくのりゆき)の号を与えられる。さらに1850年(嘉永3年)11月には秋元藩の絵師坪山洞山の養子になって、坪山洞郁と称している。1852年(嘉永5年)、遊興がたたって(珍しい帯の写生をするために女中の尻を追っていって誤解されたといわれる)、坪山家を離縁され、暫くは苦難の時代が続いた。しかし、1855年(安政2年)10月2日に起こった江戸大地震の時に仮名垣魯文の戯文により描いた鯰絵『お老なまず』(玩具荘コレクション)によって本格的に世に出ることとなった。この鯰絵は地震で壊滅した遊廓の吉原が仮店舗で営業しているという広告のようなもので、暁斎の錦絵第一号であったが、それは歌川豊国風の女性と鯰の格好をしている遊び人の組合せで、彫りも悪く暁斎にとっては名誉ある処女作とはとても言いがたいものであった。浮世絵では北斎の画風を学んでいる。橋本雅邦によると一般に入門から卒業まで11,2年かかると記しており、9年で卒業した暁斎は優秀といえる。1857年(安政4年)、江戸琳派の絵師鈴木其一の次女お清と結婚、絵師として独立するとともに父の希望で河鍋姓を継ぐ。

 1858年(安政5年)、狩野派を離れて始めは「周麿」を称し、「惺々暁斎」と号し浮世絵を描き始め、戯画・風刺画で人気を博した。他に酒乱斎雷酔、酔雷坊、惺々庵と号し、1885年(明治18年)には仏門に入り、湯島の霊雲寺の法弟になって是空入道、如空居士と号した。この後、『狂斎画譜』『狂斎漫画』などを出版、漢画、狂画、浮世絵それぞれに腕を振るった。

 1868年(明治元年)、徳川氏転封とともに静岡へ移る。1870年(明治3年)10月6日、上野不忍池の長酡亭における書画会において新政府の役人を批判する戯画を描いたが、政治批判をしたとして逮捕・投獄。翌年の出獄後は「暁斎」を名乗る。この「狂斎」から「暁斎」への改号は、改心というよりは、愚かな挑発で二度と痛い目を見たくないという自分への警告の意図であったといわれる。また同時に「猩々」を「惺々」(せいせい)に変えたとも伝えられる。1872年(明治4年)仮名垣魯文の『安愚楽鍋』・『西洋道中膝栗毛』などの挿絵を描く。1873年(明治5年)ウィーン万国博覧会に大幟『神功皇后武内宿禰図』を送り、日本庭園入口に立てられる。1876年(明治9年)、エミール・ギメらの訪問を受ける。ギメが連れてきた画家フェリックス・レガメと互いに肖像画を描いて競い合った。1880年(明治13年)新富座のために、幅17m高さ4mの『妖怪引幕』(早稲田大学演劇博物館蔵)を4時間で描く。1881年(明治14年)、第2回内国勧業博覧会に出品した『枯木寒鴉図』(栄太楼蔵)が「妙技二等」を受賞。暁斎はこの作品に100円という破格の値段をつけ、周囲から非難されると「これは烏の値段ではなく長年の苦学の価である」と答えたという。建築家ジョサイア・コンドルが入門。「暁斎絵日記」により、大半は散逸してしまっているが、1870年(明治3年)頃から1889年(明治22年)3月頃の暁斎の私生活の状況が、ある程度把握できる。例えば、1884年(明治17年)2月26日に、「客山本、フキノトウ、大島屋、卵。笹之雪参る」とあり、大島というのは、尾形月耕に代わって、月耕の弟・次郎吉の面倒を見ている親戚のことではないかと思われる。笹之雪は、台東区根岸にある暁斎馴染みの豆腐専門料理屋である(正確には「笹乃雪」、今日でも根岸名物で著名)。同年、狩野洞春秀信が死去の際、狩野派の画法遵守を依頼されたため、改めて狩野永悳に入門し、狩野派最後の絵師を継承した。

岡倉天心、フェノロサに東京美術学校の教授を依頼されたが、果たせずに1889年(明治22年)、胃癌のため逝去。墓所は谷中にある瑞輪寺塔中正行院、戒名は本有院如空日諦居士。墓石は遺言により暁斎が好んで描いた蛙を象っている。

 

 

代表作

「地獄極楽図」 一幅 麻布着彩 東京国立博物館所蔵 明治以前 無款

「豊干禅師と寒山拾得図」 一幅 紙本墨画淡彩 東京国立博物館所蔵 明治3年(1870年)以前

「山姥と金太郎図」 一幅 絹本着色 東京国立博物館所蔵 

「龍頭観音」 一幅 紙本墨画淡彩 東京国立博物館所蔵 明治21年(1888年) 

「地獄極楽めぐり図」 一帖全40図 紙本着色 静嘉堂文庫美術館所蔵 明治2年(1869年)~明治5年(1872年) 共箱は柴田是真作

「大和美人図屏風」 二曲一隻 絹本着色 個人所蔵(京都国立博物館寄託) 明治17年(1884年)~明治18年(1885年)

「北海道人樹下午睡図(松浦武四郎涅槃図)」 一幅 絹本着彩 松浦武四郎記念館 重要文化財 明治14年(1881年)~明治19年(1886年)

「慈母観音図」 一幅 絹本着色 日本浮世絵博物館所蔵 

「左甚五郎図」 二曲一双 紙本着色 千葉市美術館所蔵 

「日光地取絵巻」 2巻 紙本墨画淡彩 河鍋暁斎記念美術館所蔵

「放屁合戦絵巻」 2巻 紙本墨画淡彩 河鍋暁斎記念美術館所蔵 慶応3年(1867年)

「鯉魚遊泳図」 一幅 絹本墨画金泥 河鍋暁斎記念美術館所蔵 

「鍾呂伝道図」 絹本着色 河鍋暁斎記念美術館所蔵 文久2年(1862年)  

「白鷲と猿図」 絹本墨着色 河鍋暁斎記念美術館所蔵 明治17年(1884年) 

「宝珠に松竹梅」 紙本墨画 河鍋暁斎記念美術館所蔵 明治21年(1888年)  

「龍頭観音図」 一幅 絹本着色 個人所蔵

「大森彦七鬼女と争う図」 板絵金箔地彩色 成田山新勝寺所蔵 明治13年(1880年)

「鍾馗の戒め図」 一幅 絹本着色 河鍋暁斎記念美術館所蔵 

「毘沙門天之図」 一幅 紙本着色 河鍋暁斎記念美術館  嘉永元年 18歳の作品

「弾琴五美女憩の図」 一幅 絹本着色 無款 河鍋暁斎記念美術館所蔵

「文読む美人図」 一幅 絹本着色 個人所蔵 

「妓楼酒宴図」 一幅 絹本着色 心遠館(プライス・コレクション)所蔵 

「閻魔地獄太夫図」 一幅 絹本淡彩 心遠館所蔵 

「達磨図」 一幅 紙本墨画 心遠館所蔵

「獣群舞図」 一幅 紙本着色 リンデン美術館所蔵

「地獄太夫と一休」 絹本着色 福富太郎コレクション

「美女の袖を引く骸骨図」 紙本着色 ビーティッヒハイム・ビジンゲン美術館所蔵

 

影響

 

 暁斎の門人として、次男の河鍋暁雲、暁斎の長女・河鍋暁翠の他、真野暁亭、暁亭の父であった暁柳、早川松山、長井一禾、土屋暁春、辻暁夢、斎藤暁文、彫金家となった海野美盛、松下久吉、釈法泉、島田友春、釈学翁、昆徳爾(ジョサイア・コンドル)、鹿島暁雨、尾形月耕の弟・滝村弘方らがいた。『河鍋暁斎翁伝』には、暁雲の話として、前述の松山、暁柳、暁亭、暁春、暁夢、美盛、釈学翁、釈法泉、コンドル、暁雨、友春、弘方のほか、松下久吉、模様師の小島石蔵、小島豊吉、上絵師の石崎守蔵、姓不詳の久八、医師の本郷某、彫刻師の仙太郎、山本竜洞、杉本留吉、柴田某の合計22人の名前を挙げている。さらに、小林清親、綾部暁月、吉田暁芳、三宅花圃が暁斎の門人として挙げられる。

 

河鍋暁斎 2012年3月30日 (金) 13:02UTCの版「ウィキペディア日本語版」

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/河鍋暁斎 

作品数 1点(2017年8月11日現在)

No.

タイトル

出版日時

カテゴリー

所蔵

版元

1-1

B002暴徒川尻本陣図 

S046暴徒川尻本陣図

 の異版

1877/04/00

西南戦争錦絵

大英博物館

武川清吉

1-2

S046暴徒川尻本陣図

「B002暴徒川尻本陣図 」 の異版

1877/04/00

西南戦争錦絵

静岡県立中央

図書館

武川清吉


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