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川路利良

川路利良 かわじとしよし

 

機会があって、川路利良の生誕地を訪問することができた。鹿児島市の北部皆与志町にある生誕地はかなりの山の中だ。バス路線が走っており、そのバス停の名は『大警視』と言うものであった。石碑に「大警視川路利良誕生之地 公爵 島津忠重書」とあった。また、説明看板には

「ポリスは人民の保母なり」ーフランスを理想として警察制度を創設ー

市民に対して厳格で、しかも親切な警察を創りたいー。1年間のヨーロッパ視察から帰った川路利良(かわじとしよし)は新しい警察制度を創るために動き始めました。「夫レ警察ハ国家平常ノ治癒ナリ」で始まる建議書を提出。東京警視庁の設置にあたっては初代長官として大警視に任命されたのです。

その川路が生まれたのは、1834年(天保5)のことです。16歳で藩に出仕した川路は、翼1850年(嘉永3)薬師町に転居するまで、この生家から片道12kmの道を通いました。その後戊辰戦争で桐野利秋とともに西郷隆盛に認められ、桐野は軍隊を、川路は警察をまかされました。ところが遣韓使節をめぐる政争により、川路は帰郷する西郷と訣別。西南戦争では官軍の別働第3旅団長(少将)として巡査隊(抜刀隊)をひきいて薩摩の軍隊に痛撃を加えました。

1879年(明治12)2度目の訪欧中に病が悪化して帰国、46歳で亡くなりました。墓は、東京の青山墓地にあり、警視庁警察学校には銅像が建てられています。」

と書かれている。

さらに、敷地内には東面「警察制度創設百年記念」北面「天保五年五月十一日大警視ここに誕生す」南面「川路利良初め正之進 号は龍泉 世々島津氏に仕える 嘉永三年十七歳の時城下鷹師馬場に移る 元治元年七月蛤御門の変に功を立つ 慶應三年御兵具一番小隊附 明治元年戊辰の駅では兵具隊長となり出陣 その功により 翌二年兵器奉行」西面「明治四年東京府大属を経て典事 同五年邏卒総長 ついで 警保助兼大警視 同年欧州視察 同七年一月警視庁初代大警視 西南の役では陸軍少将別働第三旅団司令長官として活躍 同十二年欧州視察 病の為帰朝 同年十月十三日沒 年四十六」と刻まれた、石柱もある。

すぐ前のバス停の名前は「大警視」
すぐ前のバス停の名前は「大警視」

「ポリスは人民の保母なり」


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